

友禅職人の森隆治さんが独立し、エアブラシを使った独創的な友禅染を得意とする工房リュウグラフィックを立ち上げたのは1999年。その後、わずか1〜2年でインクジェット捺染への挑戦を始めたといいます。当時のインクジェット捺染は誕生したばかりの最先端技術で、京都産業技術研究所などが勉強会を開いていた時期。リュウグラフィックは、黎明期からインクジェット捺染に取り組んできたパイオニア企業のひとつなのです。
「そもそもは紙のプリンターのインクジェット染料がシルクを染める酸性染料と同じだったので、『それで着物が染められないか』というところから挑戦が始まったそうです。最初は粘着シートに布を貼り付けて紙みたいに固くしてプリンターに通していたそうですよ。そのうちに布専用のプリンターが開発されて今にいたっています」
と、話すのは森さんの長男である森真琴さん。京都市立芸術大学で芸術学を学び、その後同志社大学大学院でマーケティングを研究しました。現在はお父様が病気療養中なのもあり、リュウグラフィックと自身の会社森林堂の両方を運営しています。まだ30代ですが、大学時代から家業を手伝っていたこともあり、インクジェット捺染の知識もたいへん豊富です。
現在リュウグラフィックには、2台のインクジェットプリンタがあるのだそう。1台はシルク・木綿・麻を染める機械、もう1台はポリエステルを染める機械です。工房ではスタッフがコマべらを使い、インクジェット捺染した布に金彩加工するための準備である糊伏せもしていました。JRの「くろしおパンダ号」のヘッドカバーなど別ジャンルの仕事も手掛けていますが、昔も今もリュウグラフィックのメインは着物製造。振袖や子どもの七五三の着物、舞台衣装や力士の着物など得意分野も多彩で、意匠デザインからデータ加工、インクジェット捺染までをトータルに行なっています。


真琴さんが手掛けるオリジナルブランドに、eninaru®があります。SNSで話題を呼びネットのファッションニュースにも取り上げられたので、曼珠沙華や藤の着物、それを着たモデルさんたちの印象的なビジュアルを覚えている方も多いかもしれません。



「ちょうどコロナの時期で仕事が止まってしまったときに、同級生の美術家であり写真家でもある須藤絢乃さんが、クリエイターやアイドルなどと組んでビジュアルブックをつくるプロジェクトを始めたんです。うちもそのプロジェクトのひとつとして一緒に取り組みました」
曼珠沙華の着物は、元々人形の衣装として半分遊びで作ったものだったそう。なかなか好評だったこともあり、ユーザーに販売してみたいと考えてプロジェクトの着物に選んだのだそうです。世界観のある着物と写真は多くの人の心をとらえ、一般のお客様からも注文が入ってきました。また、販売するだけではなく雰囲気のある場所で着姿を撮影できるレンタル事業もスタート。それは単に装うというのとはまた違い「耽美な作品世界の一部になれる」という喜びがあり、熱心なファンを獲得。さまざまな年齢やジェンダーのお客様から申し込みがあるそうです。
「撮影に際してはお客様一人一人とミーティングを重ねて、髪型やスタイリングを決めてご希望に近づけていきます。一緒にアート作品をつくりあげていく感じですね。関東圏のお客様に人気があるので、事業のベースは関東です。僕が行かなくても東京のメンバーだけで撮影ができるように仕組みをつくりました」
真琴さんによれば、この事業は実験的な意味合いも大きいのだそう。「アートの側面から着物で何ができるのか」を探っているのです。
またeninaru®からは、2024年に新作振袖もお披露目されました。テーマは「桃源郷」で、中国陶磁器の意匠を着物地に再現した「仙桃磁」や、木蓮に幸福をもたらす瑞鳥である孔雀を配した『木蓮孔雀』などシノワな雰囲気。中華圏への販売も意識して、チャイナドレスとして仕立てられるようアレンジした図案も制作したそうです。

真琴さんは2024年の夏からもうひとつ取り組みを始めました。舞台衣装を中心としたケレン味ある着物を販売するサイト「麗麗着物衣装店」です。リュウグラフィックではこれまでも舞台衣装を依頼されることが多く、そうしたニーズに向けてのサービスをスタートさせたのだそう。ほかにない個性的な意匠が特徴のブランドです。
「江戸時代の小袖雛形本のようにサイトからデザインを選んでいただき、ご希望の生地を使って制作します。舞台にかぎらず個人的にお召しになりたい方にも喜んでいただいていますよ」
大胆な意匠デザインを手掛けるのは、真琴さんの芸大時代の同級生であるスタッフ。アートセンスを発揮して、着物の枠を超えたデザインを試みます。かつてお父様の隆治さんが描いた図案をアレンジしたものもあるのだそうです。
「舞台衣装は1枚だけ作ることも多いですし制作期間も短期なので、インクジェットの利点を生かせるんですよ」
ユーザーの心を掴んだり、ピンポイントのニーズに焦点をあてる取り組みは、大学で芸術やマーケティングを学んだ真琴さんならでは。着用する人の価値観や気持ちにあったデザインを、適切なタイミングと手法で提供していくのを大事にしているそうです。
「世の中の変化するスピードはどんどん早くなっていますが、それはユーザーの感覚も同じです。現代では、着物をレンタルするお客様と購入するお客様とでは、着物を選ぶ価値観が違ってきています。レンタルの場合は着用する女性の『その時の気持ち』が一番大事ですから、若い世代にフィットした流行のデザインが大事になります。しかし販売の場合は、お金を出す親や祖父母の意向も影響しますし、本人も将来子どもに譲れるようなものにしたいという気持ちもでてきます。その場合に求められる着物のデザインは、『いろんな世代の妥協点』になるんです」
そのため真琴さんは、ティーン向けから高齢者向けまですべての世代の雑誌にくまなく目を通すのだそう。流行はもちろん、各世代のライフスタイルや価値観などを掴むためです。
「消費の形は変わっていきますが、振袖は無くならないと思っています。ユーザーの意識をしっかり把握し、マーケットを見据えたものづくりしていきたいですね」
インクジェット捺染の技術が生まれて20年以上。「インクジェットの振袖を、娘さん世代が受け継いで着る時代」になったと、真琴さんはいいます。友禅というとつい「伝統」に目が行きがちですが、「今この時代に求められるもの」であることは大前提。「友禅とは何か」という定義は、時代によって変化し続けるものなのでしょう。真琴さんが切り開いていく着物のミライに、その答えのひとつがあるように思いました。


(文:白須美紀 写真:田口葉子、須藤絢乃)
キモノデザイナー/合同会社森林堂代表