作り手紹介

京友禅が生まれるところ
COLUMN


父から息子へと手渡される、ものづくりのバトン―京染 佐々木染工

京染 佐々木染工

友禅村の歴史を継ぐ工房

 佐々木染工は、創業90年を越える型染友禅の老舗。社長である佐々木幹夫さんのお祖父様が、1928年頃に京都市下京区中堂寺に開業したのが始まりです。当時の創業の地には友禅染の会社が集まっており、「友禅村」と呼ばれていたのだそう。佐々木社長が生まれたのは別のところですが、本籍地はいまもその友禅村にあるのだそうです。

 2代目となるお父様の頃に、佐々木染工は友禅村から離れ嵐山近くに移転。社長が家業を継いだのは16年前のことです。そして、6年前に右京区にある現在の工場に移転しました。

「わたし自身は同業の染屋さんに就職し、そこで33年勤めました。実家にも仕事を出していたんですよ」

  家業を継いだのは、お父様が亡くなったのがきっかけでした。雇っている職人さんたちのことを、放っておけなかったからです。

「職人さんが6人ほどいたので、無理言って勤め先を辞めさせてもらったんです。継いだといっても経営関係の仕事が増えたくらいで、後はやっていることはずっと同じですよ。注文をとってきて、図案家さんに図案をつくってもらい、職人さんたちに仕事をしてもらう。ものづくりは50年近く続けていることになりますね」

 佐々木染工が染めるのは今も昔も振袖が中心。クライアントのその年の代表作に選ばれることも多く、今年も数点が振袖カタログの表紙を飾りました。この道50年という社長の実力が伝わってくるようです。

 

職人さんたちへの細やかな心配り

 そんな佐々木染工を支えるのが、板場の6人の職人さんたちです。重い板を上げ下げし黙々と型染めに集中する顔ぶれのなかには40〜50代の方もいました。60代以上が当たり前という高齢化が進む型染友禅の板場において40〜50代は若手と呼べる貴重な存在。聞けば、社長が育てた生え抜きの職人さんなのだそう。若手を育てる秘訣はどこにあるのでしょうか。

「コツなんて特にないですよ、本人にやる気があれば大丈夫です。新人さんはベテランの職人さんの横に半年つけて、学んでもらいました。完全に任せられるまで5年はかかるかな……。時間がかかりますが、そこは我慢強くやるしかない。あとは、職人さんたちのためにちゃんと仕事を取ってくることです。それがわたしの仕事やね」

 工場には板場とは別に、3年前に導入した回転台もありました。回転台とは型染のための重量ある板を放射状に取り付けた大装置のこと。染め終えた板に重心をかけると板が下がり、次の板が上から降りてくる仕組みになっています。重い板を持ち上げたり降ろしたりすることなく次の作業に移れるので職人さんの負担が減らせるのですが、佐々木染工の回転台はなんと最新の電動式。足元のスイッチを踏むと自動で板が回転するのです。

「高齢化で職人さんも重い板があがらない。でもこれなら踏むだけでいいからね。ちょっとでも長く働いてもらいたいという考えで入れたんですよ」

と話す社長自身が、とても嬉しそうにされているのが印象的でした。

 

若き4代目の修行

 社長が工場を移転し新しい回転台を入れたのには、もうひとつ理由がありました。それは、別の業界で働いていた息子の滉太さんが、後を継ぐために家業に入ったからです。親子で働きはじめて3年半が経ったといいます。

「ずっと職人さんが仕事をしているのを見て育ってきたので、いずれは継ぐことになるのかなと思っていました」

と話す滉太さんは、まだ20代後半。友禅の製作は社長が一手に引き受け、滉太さんは得意先をまわって営業をしながら、新規事業を立ち上げたり、ホームページやオンラインショップを運営しているのだそう。

 新規事業は、きもの以外のオリジナル製品。ベッドランナーやクッションカバーなどのアイテムは品のよい華やかさで高級感があり、ホテル関係者や外国の方にも喜ばれそうです。また滉太さんは、月に数回休みの日にコンピューターグラフィックも学んでいるのだとか。

「いずれはインクジェットプリントに使う型染データを手がけられるようになりたいと思っていますが、今の段階ではまだ配色の勉強ですね。親父は100%頭のなかで色を決めることができるんですけど、僕には無理ですから」

 業界の従来のやり方では、白黒の図案を使って配色を考えクライアントに提案をします。色鉛筆やチップでだいたいの雰囲気は伝えられますが、赤ひとつとっても無数の赤があり、互いに想像で仕上がりイメージを共有し合わねばなりません。こんなことが可能なのも、染め屋さんとクライアントの両方が色に関する常識や感受性を磨き上げているからこそでしょう。

 まだ駆け出しである滉太さんは、この道50年の社長を手本に一歩一歩できることを増やしている段階です。社長は職人さんを育てたのと同じやり方で、後継の滉太さんもじっくりと育成しているようでした。

 

若い世代から見えることを大切

 ところで異業種から入った若い滉太さんにとって、友禅の世界はどのように見えているのでしょうか。

「もともとが病院に器具を収める会社で営業をしていたので、商習慣の違いにまず驚きました。契約書もメールのやりとりもなく、すべて口約束で決まりますから。けれど、こっちの方が人間同士の心の通い合いがあるので、結構いいなと思っているんです。配色にしても、親父のように頭のなかでできるようになりたいですが、若いお客さんのなかにはカラープリントで確認できたほうが喜ぶ方もいらっしゃるので、CGは営業のプレゼンにも使っていこうと思っています」

 昔ながらのやり方がいまも継承される友禅の世界ですが、デジタルネイティブの若い世代だからこそできることがあり、見えることがあるでしょう。板場が回転台になり、回転台が人力から電動に変わったように、大切なところは守りながらも変わるべきところは変えて行く必要があります。社長も「そのために新規事業やウェブサイトは息子に任せているんですよ」と頷きます。

 滉太さんが手がけたウェブサイトには「職人募集」のページもありました。社長と2人で相談して掲載したのだそうです。

「友禅のインクジェットプリントへの流れは止まらないと思っています」

と、滉太さんは言います。

「でも人の手で染める美しさは特別ですから、やはり板場は残していきたい。できたら同世代か若い人が来てくれると嬉しいですね」

 いつかサイトを見た若者が、佐々木染工の職人を志す日がくるでしょう。そして滉太さんとその職人さんたちが、未来の友禅を担っていくのです。バトンは確実に次世代に渡されようとしています。

(文:白須美紀 写真:田口葉子 商品写真のみ佐々木染工提供)

 

 

PROFILE
京染 佐々木染工
(左)社長 佐々木幹夫
(右)佐々木滉太
京染 佐々木染工
住所
京都市右京区梅津堤下町60
TEL
075-862-2788
HP
https://kyouzome-sasakisenkou.com
SNS
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