関谷幸英さんは、1897年創業の関谷染色四代目。120年続く家業というのは重みがあるものですが、意外なことに高校を卒業するぐらいまで、自分の家が何の仕事をしているか良く知らなかったのだそうです。
「一人っ子なので小さな頃から後を継ぐように言われて育ちました。そこに抵抗は無かったのですが、自宅と会社が離れているせいもあり内容については良く分かっていなかったんです。きものを売っている呉服屋さんなのかな、と思っていたら『つくっているほうや』と聞いて驚きましたね」
大学を出てからはまず、一般企業に就職。住宅メーカーで注文住宅の営業をしていたそうです。染め屋の後継は商社や問屋など呉服業界に修行にいくケースが多いのですが、お父様は「ものを作っている会社なら、呉服以外でもええよ」と仰ったのだそう。それなら大きな物を作っている会社にしようと、住宅メーカーに進んだといいます。家業に戻ったのは、それから6年後でした。
「一般企業に勤めていただけあり、はじめはこの業界のアナログぶりに驚きました。でもそれも、実は嫌いじゃありません。それにやはり手描友禅は奥深くて、魅力がありますね」
関谷染色の専門は、手描友禅。きものの図案を考え配色を決めるのは、関谷さんの仕事です。会社の図案室には大量の下絵が積み重ねられており、その量だけでも関谷染色が長年にわたっていかにたくさんのきものを作り出してきたかが伝わってくるようです。
また3階には友禅を挿す工房があり2名の職人さんが作業をしていますが、手描友禅で自社内に工房を持っているところは珍しいのだそう。職人のうちの一人、大矢博司さんはこの道50年の伝統工芸士で、友禅以外に下絵なしで絵を描くように染める素描(すがき)もでき、図案も描けるオールラウンダー。お客様との打ち合わせに参加したり、オーダーに応えたりもするのだそうです。
「作業の様子をすぐ確認できるのは自社工場の良いところですね。ふだんは現場を見ることのないお客様にも、喜んでいただけます」
それ以外にも社外に協力工場があり、琳派が得意な人や古典が上手な人など、意匠に合わせて選んでお願いしているといいます。
関谷染色で染めた手描友禅のきものをいくつか見せてもらいました。品のある琳派調の訪問着や帯、黒地のあでやかな総柄振袖など、どれも優美で華やか。
「糸目友禅の材料には糊とゴムがあり、それぞれ雰囲気が変わります。糊を使うと柔らかで手描きの味が出ますし、逆にゴム糸目はシャープな仕上がりになる。振袖のような大柄は、柄をくっきりと出すためゴム糸目を使うことが多いですね」
それにしても総手描きの振袖とは、なんて豪華なのでしょう。値段を問わず手描きにこだわるお客様は一定数おり、毎年10枚ほど製作するそうです。
また他にも臈纈染(ろうけつぞめ)やダンマル描きも関谷染色の得意分野。ダンマル描きとはダンマル液で防染する技法で、臈纈と違って完全に防染せず色が半分入るのだそう。例えば紫を染めた場合、臈で防染した部分は白く抜けますが、ダンマルで防染した部分は薄紫に染まるといった具合です。関谷さんが見せてくれた桜模様の渋い訪問着は桜の花びらがダンマルで染められており、水墨画のような素描の柄に、幽玄さを添えていました。
それにしても関谷さんで目にするきものは、見事なまでに全部雰囲気が違います。作風の広さに驚いていると、関谷さんも頷いて
「絞り以外はなんでも染めますよ。敢えてうちの特徴を探すなら、糸目友禅に臈纈や素描、ダンマルを併用することでしょうか。そうするとさらに友禅の表現が広がるんです」
と教えてくれました。
多彩な染めをする関谷染色は、作るものも多種多様です。きものや帯はもちろん、舞台衣装や楽屋のれん、タペストリーなど、絹を染めるものならなんでも手がけるのだそう。京都友禅協同組合の青年会仲間と立ち上げた「SOO (ソマル)」のメガネやスマホ拭きも、手描友禅は関谷さんのところで染めているそうです。
さらに2021年からは京都府の協力のもと、参画企業と一緒にインドのサリーづくりにも着手しました。しかし、サリーの布幅はきもの地の3倍ほどあり、友禅の枠では作業ができません。
「テーブルに置いて少しずつ動かして染めたんですよ。引染めも広幅をやっている協力工場が見つかって実現しました。初めは『できひんかな?』と思ったんですけど、何とかできましたね。サリーは長さが6mもある布を体に巻きつけるのですが、きものと同じで着姿があって、どこに模様を入れるかなど決まっているんですよ」
こうして日々挑戦する結果が、関谷染色の総合力をさらに高めていくのでしょう。
関谷さんが社長を継いで11年、その間にきものを取り巻く環境は代わり、流通も大きく変化したといいます。お父様の時代は「お客様から白生地を預かって染色して納品する」という染色加工の仕事がほぼ100%でしたが、今は関谷染色で白生地を手配し、自社で商品を創作することも増えてきたのだそう。委託加工だけでなく、メーカーの役割もするようになってきたのです。
「新型コロナが流行してからきものの生産がどこもストップしてしまい、染めの依頼が少なくなりました。今は自社商品の催事展開のほうが増えていますね。まだ終息が見えないので先のことが分かりませんが、ものづくりの体制をしっかり残せるように考えながら、臨機応変に対応していくしかありません」
そんな関谷さんが今考えているのが、関谷染色の施設を生かした新商品です。
「消費の傾向がモノからコトに移っているのもあって、体験型の企画を考えているんです。それも、一週間くらい通ってもらって職人さんに教わりながらじっくり帯を染めてもらうような、本格的な内容を検討しています」
関谷染色は京都御所の近くにあり、周りにはホテルやゲストハウスなどの宿泊施設も充実しています。京都でゆっくりと滞在して歴史ある友禅の世界に身を浸すことができるのは、それだけで稀有な体験となるでしょう。充実した時間のあとに、自分で染めた帯が手元に残るのも嬉しい限りです。
「この仕事をしていると、きものは世界一の民族衣装だと実感します。先祖から受け継いだものづくりを守っていくためにも、知恵を絞っていかねばなりません」
かつて家業に興味のなかった少年も、気づけば頼もしい四代目に。関谷さんが取り組むさまざまな挑戦は、関谷染色と友禅の未来を切り拓いていくに違いありません。
(文:白須美紀 写真:田口葉子)