作り手紹介

京友禅が生まれるところ
COLUMN


手仕事を極める人と護る人が支え合う、心温かな場所

岡山工芸

武子先生が生み出す独自の美

 「揺らぐ」「流れる」「舞い散る」。魅力的な友禅にはこの3つがあると、岡山工芸の岡山武子先生は言います。だからでしょうか。目の前に広げられた武子先生のきものからは、花の匂いや風のざわめきまでが伝わってくるよう。

「どんなに美しくてもその三要素がないと、ただの絵になってしまうの。動きがあるからこそ、人が歩いたときに柄が生命をおびて、着ている女性を美しく見せるんですよ」

そう話す笑顔はとても魅力的で、作品そのままにいきいきと輝いています。

 武子先生は、女性で初めて京友禅の伝統工芸士になった人。仕事を心から愛し、独自の感性で多くの作品を生み出してきました。

 武子先生が友禅職人になったのは18歳のとき。それまでは陶器の学校を出て清水焼の絵付けをしていたといいます。器は可愛いけれど絵が小さいので「もっとのびのび描きたい」と思っていたところ、出会ったのが友禅作家の個展でした。「これだわ!」と思い、すぐさま友禅の工房に転職。陶器の絵付けの腕を生かして、職人として働き出したそうです。

 当時友禅の職人は出来高制がほとんど。職人さんたちは一反いくらで給料をもらう「受け取り」で働いており、プロの集まりでした。いろいろ教えてもらえると思っていたら、「技術は盗んで学ぶもんや」と、先輩から叱られたのだそう。

「そこで先輩の仕事を見て研究し、真似ごとしながら技術を覚えていきました。朝は一番に行って夜は最後まで仕事していましたね。自分で初めて一反仕上げたのは、入って一年くらいしてからでした。途中でくじけずに済んだのは、負けず嫌いな性格のおかげです」

 当時は、濡らした生地に絵筆で柄を描く「濡描き(ぬれがき)友禅」が流行っており、若き日の武子先生はそれを描くのが好きだったそう。面白くて面白くてどんどん描いていくと「目にもとまらん速さや」と、社長が驚いたといいます。巧くて速いのは優秀な職人の証。他の人の3倍くらい速く仕上げていたというからさすがです。

  そんな武子先生がご主人と結婚して2人で染め屋を立ち上げたのが、岡山工芸の始まり。やがて武子先生は、請負いの仕事以外に、ご自身の作りたい作品を描くようになりました。草花や古典柄だけでなく、旅した外国の風景や衣装、子どもが遊ぶトランプやおやつのビスケットにいたるまで、目にした全てをきものや帯に描いてきました。どれも独自の作風で他にないお洒落なものばかりです。そしてそれらは当然ながら「人と違う装いをしたい」という女性たちの心を掴み、多くのファンを獲得しました。昔も今も「大好き! こういうの待ってた!」と喜ばれるのが、楽しくて仕方ないのだそうです。

「よそにないものをつくりたい。何言われてもいいし、自分の描きたいもん描ける人生、一生それをしていきたい。泣く日もあったし大変やったけど、好きなことやから耐えられたんでしょうね」

生き生きと話される表情は、まるで無邪気な少女のよう。作品はもちろんのこと、武子先生のお人柄もまた多くの人を魅了しているのです。

 

業務のシステム化を推進

 岡山工芸の顔ともいえる武子先生をサポートするのが、2011年から代表取締役社長を務める長女の摩紀さんです。新卒で一度システム会社に就職した摩紀さんは25歳のとき家業に入り、出産と子育てで10年ほど休んだのちまた復帰しました。明るくて気さくなお人柄で、展示会で全国を飛び回る武子先生の代わりに16歳下の妹を育てたというしっかり者。妹を育てた経験があったため、ご自身の子育ても楽勝だったと笑います。

   摩紀さんが社長になってから力を入れてきたひとつが、業務のIT化でした。妹さんのご主人であるフランス人のヴォヴィ・ピエールさんとともに改革を進めてきたといいます。

 業務管理システムではどの反物が今どんな状況か、受注から納品まで進捗状況が一目でわかり、誰もがアクセスして確認できるようになっています。また5年かけて18000枚ある草稿(図案)をアーカイブ化。製作に活用しやすくなったうえ、タブレットやPCに呼び出せるので営業先での打合せもスムーズになりました。端末上で柄を大きくしたり修正したりもできるため、営業が出先でデザインの詳細を決めてくることも増えたのだそう。IT化は伝統工芸の世界では珍しいことですが、摩紀さんは「岡山工芸を次の世代に引き継ぐためには必要なこと」だと判断したのです。

 また同時に、これからの時代は必ずしもきものの形にこだわる必要は無いとも考えているそう。「手描友禅の美しい図柄と高い技術を使った小物などを製作して、岡山工芸のオフィシャルサイトで販売しています。この分野は事業のなかではまだ小さいですが、今後若手の職人さんを交えて新しい物を増やして行きたいと考えています」と、話してくれました。

  そんな摩紀さんが何より大切にしているのが2階にある工房です。そこでは、職人さんたちがそれぞれ友禅の作業に打ち込んでいました。糸目を置く人、彩色をする人、色合せをする人、濡描(ぬれがき)をする人、臈纈(ろうけつ)の臈引きをする人……色とりどりの反物が張りめぐらされた部屋で職人さんたちが黙々と仕事する姿は、反物の色合いそのままに柔らかで美しい光景でした。

 摩紀さんによれば、職人さんたちは皆自分から「手描友禅がやりたい」と連絡してきた人ばかりなのだそう。岡山工芸では、ひとまず職人の仕事は厳しいことや適正がないとできないことなどを説明し、「それでもやりたい」と言う人は受け入れて挑戦させるといいます。なぜならかつての武子先生も、そうして職人人生を始めたからです。そして彼ら彼女らのなかに未来の岡山武子がいるに違いなく、実際に優秀な若手も育ってきているといいます。

 社内の合理化をどんどん進めつつも、友禅だけは300年前と同じ技術をきちんと守っていることに感心しますが

「実は、見学や勉強会に参加したりして、インクジェット導入も真剣に検討したんですよ」

とのこと。

「でも、『今のところやめておこう』となりました。うちは職人の両親が始めた会社ですから、核は職人さんなんです。そこを機械にしてしまったら、芯がなくなってしまいます」

 岡山工芸のビルは自宅兼工房で、摩紀さんの実家でもあります。ここで摩紀さんは、職人である両親の仕事ぶりを見て成長しました。60〜70代のベテラン職人さんは、幼い頃から親しんできた家族のような存在。職人の仕事を大切に思っているのは、何より摩紀さんに違いないのです。  

 岡山工芸では工房見学を受け付けていますが、それも「手描友禅の職人の仕事を知って欲しい」という思いから。友禅体験では、職人さんと同じ工房で同じ道具を使い、帯揚げやハンカチなどを染めてもらっているといい、国内外問わず大人から子どもまでたくさんの人が訪れてくるのだそうです。

 資料室では、70代の意匠部長梅本智恵子さんと、若いフランス人の職人バロカル・ソフィーさん、ピエールさんが3人で打ち合わせをしていました。他にもスペインでフラメンコギターをしていたという男性職人や、カナダで寿司職人の経験がある営業の男性もいるそうで、思わず「多様性」という言葉が浮かびます。摩紀さんも頷き「あと数年したらピエール君に社長を譲るつもりなんです」と、教えてくれました。

「会長や社員の皆さんにも今から話しているんですよ。引退した後はピエール君をサポートできたらいいなと思っています」

 父母や義弟を支え、社員一人ひとりを気遣う摩紀さんは、岡山工芸という大家族の長女であり、個性豊かな面々を束ねる扇の要。これからも、摩紀さんとピエールさんの二人三脚は続いていくでしょう。そしてこの岡山工芸から手描京友禅の魅力が世界に伝わっていくのも、そう遠い未来ではないように思えます。          

(文:白須美紀 写真:田口葉子)

PROFILE
(右)代表取締役社長 岡山 摩紀
(中)友禅師 岡山武子(京の名工、「京友禅」手描部門 伝統工芸士)
(左)総務部長 ヴォヴィ・ピエール
岡山工芸株式会社

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