作り手紹介

京友禅が生まれるところ
COLUMN


京友禅の伝統が息づく、普段づかいの品々を染める

伊原染工

スクリーン型を使った京友禅

 京友禅という言葉から思い浮かべるのは、華やかな型染の振袖や手描きの訪問着。しかし、実は京友禅のジャンルは広く、そうした高級きものや帯以外にも、たくさんのものが染められています。浴衣や帯上げ、風呂敷や手ぬぐいなどは、その代表格でしょう。

 創業60年を迎える伊原染工が得意とするのも、そうした京友禅。アルミの枠に細かな網を張ったスクリーン型を使って、主に浴衣や化繊のきもの、風呂敷などを手染めしています。

「京友禅には京友禅ならではの色の深みがあり、筆や刷毛で色挿しする表現の味わいがあります。私どもの仕事は、そうした京友禅の伝統的良さを深く掘り下げて、現代の実用的なものを生み出すことです。単に“京都で染めたから京友禅”ではないのです」

と話すのは、この道50年以上というベテランの鳥海清社長です。同じ図案でも色や染め具合によって印象は変わるといい、特に明確な基準があるわけではないものを「ああ、京友禅だなぁ」と思わせるように染めるのにはやはり文化的な素地や経験、技が必要だといいます。きものはもちろん小物にいたるまで、伊原染工のすべてのものづくりには京友禅の美と伝統が貫かれています。

  また、多様な製品を染めることはもちろん、素材の範囲が広いのも伊原染工の強みです。絹、麻、木綿のほかにも、化学繊維の布にも対応しています。

「当社は長年の経験により、何千何万色のデータを持っています。だからこそ、化繊でも京友禅を染めあげることができるんですよ。時代によって色や素材には流行がありますから、伝統を守りつつも、若い人たちの感性にあったものをつくれるように心がけています」

 それゆえ色を作り出す絵の具場は、伊原染工の最重要部分です。素材ごとに使える染料が違うため、情報量の多さは絹だけを染めている工房の比ではありません。また、素材と染料のそれぞれの相性や発色のクセなども把握していなければ、正確な色は作れないといいます。絵の具場には2人のベテラン職人さんが常駐し、事務室には大量の色見本や指示書が山と積まれていて、いかに多種多様な製品を染めているのかを物語っていました。

  一方の染め場では、大きなスクリーン型を抱えた職人さんたちが黙々と働いています。工場のなかに並ぶ染め台は全長28メートルもあり、迫力満点です。

 染める作業は規則正しいリズムで行われ、布の上に型を置いては大きなスクレーバーで全身を使って色糊を上から下へしごきます。染め上がりに色ムラが起きないよう、スクレーバーは均質に動かすのが肝心。力加減やスクレーバーの角度によって染まり具合が変わるため、仕上がりのイメージに合わせて調節するのだそうです。

 型は一色につき一台で、5色を使う布なら5回この作業を繰り返します。印があるとはいえ正確に型を置くのさえも難しそうです。色数や長さが多いほど、28メートルの台を何度も往復することになるので、運動量も相当なもの。職人の皆さんがスリムでしなやかなアスリート体型であるのも、なんだか納得がいくのでした。

 

高い精度と挑戦する姿勢を大切に

 絵の具場と染め場の職人さんたちを仕切っているのも、鳥海社長です。同志社大学の卓球部で鍛えた元スポーツマンだからなのか、あるいは毎日工場の階段を上がったり降りたりしているおかげなのか、御年82歳になる今も現役で、エネルギッシュに仕事をしています。時折職人さんたちに大きな声で指示する様子は、選手に檄を飛ばすスポーツ指導者のよう。

 職人さんとの距離も近く、ベテラン職人さんをつかまえて「あの子が最初うちにきたときは中学出てすぐやった。今もう65歳になったっていうから、びっくりするわ」と言って笑います。それにしても、なんという付き合いの長さでしょうか。伊原染工には今もまだ、親方と職人を親子に例えるような昭和の工場の温かな人間関係が残っています。

 しかし近年、染工場を取り巻く社会の状況は、すっかり変わってしまいました。かつて捌ききれないほどあった仕事も安価な海外に流れてしまい、注文も年々減っているのだとか。ここ10年の間に廃業していった同業者も少なくないといいます。

 そうしたなか鳥海社長が心がけているのは、ていねいな仕事で「ミスを極力減らす」こと。常に注意を払って完璧に染めあげても、もともとの糸や生地などが原因で外注に出した仕上げ工程でトラブルが起きたりもするのだそう。布作りの難しいところです。そのためもあって、製品は自社内で必ず検品し、トラブルが起きた場合は再発を防ぐため原因をしっかり調査するといいます。 

 また、同時に大切にしているのが「挑戦」すること。問屋さんからの難しい相談はむしろ腕の見せどころで、厭わず引き受けてテストを重ねて形にしていくのだそうです。社長は個人的にも新技術開発を目指しているといい、表裏に鶴を染めた試作品を見せてくれました。裏面に影響させずに捺染をするのはとても難しいのですが、布の種類や厚み、糊の具合を熟知しているプロだからこそできる技です。

 この道50年以上の豊かな経験を武器に、海外ではできないような難しいものを、美しく早くミスなく仕上げていく。つまりは高い技術力こそが、令和の今も伊原染工に仕事がくる理由なのです。

  工場の2階を見学していると「天井見てみ、きれいやろ。3年前に新しくしたんやで」と、鳥海社長がにこにこと教えてくれました。確かにそこだけがきれいにリフォームされています。理由を聞くと、なんと2018年に京都を襲った大きな台風で、工場の屋根が吹き飛んでしまったのだそうです。ちょうど鳥海社長は病気で入院していた時期で、社長のお嬢さんと番頭さんが迷惑をかけた近所に謝ってまわったといいます。広い工場だけに修繕代もきっと大変に違いなく、さまざまな苦労がしのばれて胸が痛みました。けれど鳥海社長は「いつもピンチの連続やしなぁ」と笑いながら

「工場が明るくなったわ。職人さんたちもいるさかい、まだまだ稼がなあかん。『上を向いて歩こう』やな。この先も若い人世代の感性に響くものづくりを、どんどん向上させていきたいね」

と、言うのでした。

 先代が創業してから令和4年の今年でちょうど60年。その歩みのなかで、伊原染工はこうしていくつものピンチを乗り越えて続いてきたのでしょう。そして今日もまたいつもと同じように、新しい京友禅がここで美しく染められていきます。  

 (文:白須美紀 写真:田口葉子)

PROFILE
代表取締役 鳥海清
伊原染工株式会社

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